思ったことやITの話など。

Webデザイナー兼プログラマー(セミプロ)がつづる仕事への熱き想い(笑)やIT知識など。

飲んだ勢いで思いつきでかく(IT関係なし)

CD大量に借りてiPodに取り込んだつもりにしてたので

それ聴きながら記事書こうと思ったら、取り込めてなかった・・・

仕方なく入ってたパド・パウエル聴きながら書いてます。

本当はミスチルのQが聴きたかったよ

 

まず記事書こうと思ってログインしたら目に入ってきたトップエントリ

へーすごい。ラッスンを音楽的に分析できるとは。

確かに裏拍で〜とか、リズムを食って〜とかすごく納得感がある。

 

個人的には違う方向性で考えてた。

・よく練習してある

・テンポが良い

 ⇒ ひとつの「芸」としては完成度が高い

でも

・面白くはない

・それっぽいから騙される

 (たぶん武勇伝のクオリティがベースになってるので、それ比較で見てる)

 

でもやっぱりこれはオリラジなんだよなあ。

オリラジがラッスンをコピった動画は前にも見ていたけど、

完全に同じ人がやってるように見えるんだよね。

 

「8.6秒バズーカです!」『お願いします』(万歳ポーズ)

オリエンタルラジオです!」『お願いします』(万歳ポーズ)

 

「ちょと待てちょと待てお兄さん」の発声の仕方

「ど〜〜も〜〜〜君カワウィーネ」の発声の仕方

 

完全にオリラジですよね。ラッスンはたぶんオリラジをリスペクトしてるんだろうね。

 

 

それっぽいものに騙されるというのは勝手に、

非常に現代的な現象なのではないかと思っている。

 

・YouTuberやニコニコ生主の素人作成の動画で満足できる

・ソシャゲを面白がれる(しかもパズルゲーム

2chまとめを面白がれる

 

YouTuberや生主の方に関しては個人であそこまで動画を作りこめて

しかもそれで生活できるほどの収入を得ている

とてもそれはすごいことだとはおもいます。

 

だけど単純に品質比較すれば私は(に限らない意見のはずだけど)

お金かけて作っているテレビ番組の方が圧倒的にすごいと思うし

そもそも自分の得たい情報・見たいものは決してYouTuberや生主の動画から得ることは出来ない。

 

それを言ったらテレビも結局娯楽メインで観てるので

情報を得るとか偉そうな話じゃないのだけれど。

にしてもお笑いとか、素人には追いつけない域でやってるので、

テレビの方が全然優れていると思うんだよなあ。

 

 ソシャゲも2chまとめも、暇つぶしには良いのでしょうけどもね

ペラッペラじゃないですか?情報量ゼロでしょ?

 今の若者の審美眼相当鈍ってませんかね。

 

曲がりなりにもIT業界におりますので、最近のソシャゲが結構よく作り込まれてるのは知ってる。

ソシャゲもお金はかけているんだろうけどね。収益モデルが違うのだろうね。

 

それまでのゲーム(私の思うゲーム=ハードゲームです)は、作り込んだコンテンツそのものに値段をつけて売っていた。

やっていること自体が楽しい。ストーリーが作り込まれているので、プレイ自体・ストーリー自体を楽しめる。

 

ソシャゲはとにかく飽きさせない。あと少しで・・・!をユーザから引き出し、ギャンブル性を高める。少額課金を重ねさせる。

連続プレイさせて広告料をかせぐ。

できそうで出来ない、ってところに中毒性があるのかなあ。まそれはゲーム全般の話ですかね・・・

 

 

酔って書いてるので中身も方向性もめちゃくちゃだあ。

最初に書こうとしたことも忘れてるし。。

 

明日の朝にでも思い出したら書こうかな。

成長


結局、仕事を通じて「成長」した方が合理的というお話 - クソログ

 

トップに出てたのでたまたま読んだ。せっかくだし思ったこと書いておこっかな

 

①元記事の元記事の趣旨

・「仕事を通して成長する」は疑問

・成長は仕事通してじゃなくてもできる、人間関係からでもいい

・「どう成長したいか」が仕事とマッチしないと望んだ成長ができない

・成長自体意味なくて、成長した結果何するかが大事

・そもそも成長しなくていい

 

②元記事の趣旨

・「仕事以外のことでも成長できる」には同意

・しかし常に結果を求められる、「仕事」を通してこそ人は成長できる

 

 

趣旨の切り出しは適当なんでまあだいたいの感じですが

よく知らないけどお二人とも優秀な方のようなのでどちらもおかしなこと言ってないなという印象だが

 

そもそもこれは成長の定義によるんで、そこはっきりしないとわからないというのと

仮に定義があったとしても結局この辺のことは最後には趣味趣向の話になっちゃうんで、

明確な答え的なものはないとおもった。

 

私が思う成長は「できなかったことができるようになること」なので、

①の

仕事を通じて成長できるかどうか、というのはその仕事が自分の成長したい方向と合致しているかということに強く依存するため、仕事で成長できるかどうかは言ってみれば運次第なのである。「仕事で成長する」というのは特殊な話であって、決して一般化できるような話ではないのだ。

っていう主張はちょっと理解できなかった。(成長の定義が違う)

 

繰り返すが私が成長というと、それは「できなかったことができるようになること」なので、

「強制的にやりたくないこと(も)やらさられて、かつ結果を出さねばならない」仕事ではかなり自分の「成長」を感じる。

知識的・技術的な意味でも精神的な意味でも。

 

って意味で②の方には割と同意かな・・・。

(ってか私社畜なんで①には同意できないというところもあるのかも)

 

まあ結局仕事が好きなんだよね。

 

 

あ、①の人は『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』の著者の方でしたね。

あの有名な人かー。

 

たぶん凡人とは違う次元でもの考えてるんで、我々なんか日野さんにとってはモンキーなんでしょうね。

モンキーが人間に追いつけるかーってなかんじで。レベルがちがう。

一回本読んでみよっかなあ。

 

モンキーな私はまあベタですけど成長とかに関してはこの本読んでいろいろ考えてます。 

モンキーにはちょうど良い自己啓発本です。

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老後の社会人

ある程度の年齢に達すると、自ら成長をやめる大人が多い。

 

自分が大人になった後に生まれた、新しい概念や新しい技術に興味を持たず

それらを積極的に知ったり、身につけたりしようとしない大人。

新しいことに取り組まない大人。 

 

ある一定までは努力をする。

だからこそある程度の給与で、ある程度の職位にはついている。

ある程度の仕事を任される。ある程度の人望と信頼がある。

 

しかし、新しいことは学ばない。新しいことに挑戦しない。

 

それ以降はそこまでの貯金で生きていく。

それまでに蓄えた経験と、身につけた知恵と技術だけで その後を暮らす。

最低限の力量だけで、いかに低コストで業務をこなせるかに意識が向いていく。

 

ある地点から努力することをやめるのはどうしてか?

 

もう十分頑張ったのか?

それ以上学べることはないのか?

チームや会社に、改善すべき課題はないのか?

自ら新しいビジネスを生み出すことはしないのか?

 

蓄えだけでのんびり生きて行くなんて定年後の老人だ。

 

学習をやめた老人はやがてボケて死んでゆく。